
河崎蘭香は明治15年、現在の愛媛県八幡浜市千丈、郷の医師、神山謙斉の子として生まれ、名を「菊」といった。後に明治8年、郷に開校した石堂小学校の校長、河崎 奨(かわさきたすく)の養女となった。 この義父の河崎 奨はもと京都淀藩の侍で、鳥羽伏見の戦に敗れ難を避け八幡浜に落ちのび、浅井家に匿まわれていた。元大洲の士族、渡 郁(わたりかおる)と結婚し、共に石堂小学校で教鞭をとった。蘭香はこの小学校を卒業し上京、音楽学校に入ったが卒業後日本画家を志し、京都の菊池芳文(きくちほうぶん)の門に入り四條派の画法を学んだ。更に東京美術学校の教授だった寺崎広業(てらさきこうぎょう)の門に入り、特に風俗人物画に研鑽を重ねた。明治40年、はじめて文展が開かれると、蘭香は「夕雲」を出品し画壇に登場した。第3回は「姉妹」第4回「たわむれ」第5回「歌のぬし」といずれも女性をモデルにした作品で、精力的に出品を重ねた。特に第6回の「夏の夕」は屏風半双を額にしたてた大作であった。大正3年第8回の出品作「広門へ」が3等に入賞。第9回の「霜月十五日」は2等に輝いた。 すべて東京で女流画家としての一家をなし、近代日本画家に大いに嘱望されたのだが、惜しくも大正7年3月13日37歳の若さで病没した。墓は八幡浜千丈、蔵福寺(ぞうふくじ)にある。 |
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| ■初雪 見越の松が除く別邸の裏門、潜り戸から小用で外出する粋な女房。外は初雪、竹垣の庭に松竹梅を背してある。紅梅の蕾が春の訪れを告げている。上村松園を凌ぐ画題である。 |
■ひな祭り 3月3日はひな祭り。良家の娘が座敷で楽しそうにひな飾りをしている。男雛を手にしているのは嫁ぐ日が近いからであろうか。着物は満開の桜の図柄だが杜若(かきつばた)の帯は季節が少し早い。いづれが菖蒲(あやめ)か杜若、娘は町内の小町娘であろう。同時代の女流画家池田蕉園を凌駕する風俗画である。 |
■夕涼み 八幡浜の入江を描いたと伝えられるこの風景、海に沈む夕陽を望め、一人浜辺で涼んでいる女は若妻。浴衣の柄の藤の絵は既に花が過ぎ実になり、福鳥である蝙蝠(こうもり)をあしらった衣の帯が一層女に落ち着きをみせている。 |
■虫の声 蒸し暑い残暑が続く。絵双紙を読み更けていた遊女が気怠く起き上がり縁側に近付き、ふと虫の声に聞き入り、秋の気配を感じている。浮世絵の鈴木春信の画のような気品ある美人画である。 |
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| ■秋の野 蘭香には珍しい西洋の髪型を結った大正浪漫の美人画。四海波の朱の金沙の着物、更紗(さらさ)の帯に翡翠(ひすい)の帯留、鰐革(わにがわ)のバッグに厚いフエルトの草履と、すべての流行品を身につけた深窓の麗人。 |
■姉妹 | ||||