八水蒲鉾の地域へのこだわり
かまぼこ紀行

■歴 史

 愛媛の水産練り製品についてひめぎん情報(昭和六十二年)、文化愛媛(昭和六十三年、第十七号、愛媛県文化財団、角野信夫氏)、伝統的特産品としての宇和島かまぼこ(平成五年、志賀弘明氏)の冊子等が発刊されている。これらの中にでてくる愛媛の練り製品の歴史についてまとめると以下のようになる。宇和島大観に元和元年(1615年)宇和島藩主伊達秀宗公が仙台から職人を連れてきてかまぼこを作らせたとある。従って、この年を愛媛で練り製品が生産されるようになった起源とされており、約三百八十年余りの歴史がある。

 宇和島に練り製品が根付き、発展した原因は、昔から宇和海ではイワシ漁業等が盛んで、練り製品に好適なエソ等も豊富に水揚げされたことがあげられる。そのため、原料魚に恵まれた宇和島では江戸時代すでに商品化され、市場に出回るようになった。この時代、宇和島では魚屋と練り製品製造業を兼業していたが、明治になると練り製品製造業を専業とするものも増えてきた。
当時のかまぼこの製法は、近海で獲れたエソを包丁でさばき、三枚おろしの肉から筋を取り、すり鉢や石臼を用い、うさぎの餅つきのように搗いて肉糊を作り、板に付け炭火等で加熱しており、ほとんど道具を使った手作業で少量つくられていた。明治23年(1890年)に宇和島の鈴木峰治氏によって八幡浜に製法が伝えられた。宇和島と八幡浜は50kmほどしか離れていないにもかかわらず、技法の伝統に275年もかかったことになり、いかに情報が遅かったかが伺われる。

 その後、今治、松山に拡がったとされており、現在も宇和島、八幡浜を含め四地域が愛媛の練り製品の産地を形成し、重要な地場産業として発展している。昭和になると宇和海の漁獲が少なくなり、トロール漁業の漁獲物に依存せざるを得ない時代となる。この頃、八幡浜にはトロール基地、魚市場が整備されており、原料確保等で有利となる。鈴木峰治氏は大正4年に全国に先駆け八幡浜蒲鉾協同組合を創設し、結束を固め、博覧会等に出品するなど知名度を高め、業界発展に尽力したことで急成長することになる。

 昭和初期にはらい潰機、魚肉採取機等が機械化され、大量生産が可能となり、県外へも出荷されるようになった。昭和10年頃には、宮城、山口、北海道、福岡に次いで愛媛は全国第5位の生産量をあげるまでに発展した。当時の生産量は年に4,032万トンで、八幡浜29%、今治27%、松山22%、宇和島3%を占めていた。昭和二十六年(1951年)には、八幡浜の西南開発株式会社が日本ではじめてアジ等を原料とした魚肉ソーセージ(商品名スモークミート)を開発し、愛媛の水産練り製品の約40%の7,700トンも生産していた。

 その後、スケソウダラ冷凍すり身(昭和35年に開発)の導入もあり、愛媛全体で昭和40年代には約2万トンの生産量をあげた。しかし、全国的な傾向と同じく、愛媛でも徐々に生産量は減少し、現在では15,000(90企業)の生産量にとどまり、全国シェアの二%(第十八位)に位置付づけされている。

(平成12年5月20日『かまぼこ通信』より)

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■愛媛県工業技術センター 岡 弘康先生について

岡 弘康かまぼこ紀行は、平成12年5月から7月にかけて『かまぼこ通信』に掲載されました。
1937年、札幌に生まれる。1960年、北海道大学水産学部製造学科卒。1960年、愛媛県農産加工指導所研究員、1964年、愛媛県総合化学技術指導所研究員、1979年、愛媛県工業試験場主任研究員、1986年、愛媛県工業技術センター食品部門主任研究員、1992年、同研究企画室長、1995年、同研究企画課長、技術士(水産部門)、水産学博士。
愛媛県に入って以来、現在まで32年余りに渡り水産加工の研究・指導に従事、1980年、南極オキアミの食用化技術開発研究のため水産庁の委託で南氷洋へ、1986年、浮魚の利用加工指導のため国際協力事業団から上海市(上海水産物加工技術開発センター)へ派遣。1995年、中小企業庁長官表彰受賞。日本水産学会、日本食品衛生学会、伝統食品研究会会員。

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